ギャンブル
僕の生まれた家庭の崩壊理由は、父のギャンブルだった。
父にとって賭け事というものに家庭を崩壊させるほどの価値があったのか、あるいは崩壊が確定していて、きっかけがたまたまギャンブルだったのかはわからない。
父は今どこにいるのかわからないので、確かめる方法はない。
僕は弱い。
ちょっとした変化に圧倒されてしまう。
とくに人と関わる時に。
何でこんなに弱いのか、自分なりに考えた。
ギャンブルをしているからだ、と思った。
ギャンブル、と言ってもお金をかけてやるやつじゃない。
自己重要感をチップにして、人に依存し結果を気にするギャンブルだ。
簡単に言うと、人の評価を過剰に気にする癖だ。
僕は誰かに会うたびに、反射的に考えてしまう。
「この人は自分をどうみているのか?」と。
自分を肯定されれば、勝ち。
否定されれば、負け。
そんなふうに、物事を見ていた。
勝てば、有頂天になり、拡大した自分を感じる。
負ければ、自己嫌悪に陥り、縮こまった自分を感じる。
いつも、揺れていた。
やっている事は一種のギャンブルなので、いつかは負ける。
無理して好かれても、疲れるし、たとえ自分を偽り「うまく」いっても、そんなのは嘘だ。だから、
人の評価に依存することは明らかに、間違いだと思う。
だがやってしまう。
自分にとって重要だと思う人に好かれたり、愛されたりしなければものすごく落ち込む。
思春期の僕はずっとそうだった。
そういう自分が嫌いだった。
最近はそういう事を考えないようにして、ごまかしてきた。
何食わぬ顔をして、悩みなど無いのだぜ、というふりをしてすり抜けてきた。
それなりに効果はあった。
だけど、要所要所で悪い癖が出ていた。
一定した自分がいない。不安定だ。
いつまでもこのままなのか?
打つ手はないのか?
僕は考えた。
愛や評価を得ようとすると苦しくなる。
人の気持ちや評価は自分の自由と権限の外にある。
だから、無力だし苦しかった。
だったら自分の自由の範囲で、できること、干渉できる事をすればいいんじゃないか?
簡単に言うと、
愛されるかどうかじゃなく、愛するかどうかで物事を見る。
そっちの方が面白い気がする。
そんな事を考えていた。
それでは、また。