通院日と疑いと葛藤
今日は、2週間に1度の通院日だった。
いつも通り受付の女の人に嫌な顔をされた(と思う)。
診察券を出して、ロビーで待つ。
受付の人たちがこっちを見て何かを話している。
笑ってる。
いや、笑われているのか?
被害妄想というやつだろうか?
本当に僕を笑ってるにしろ、ただの被害妄想だったにせよ、こんな思考しかできない自分は嫌だな、と思った。
第一、僕のことなんて誰も気にして無いだろう。
だが、それはそれでさみしい。
診察の時、ここのところ頑張って買い物に出かけていることを先生に伝えた。
僕は、励まされることや、何か良好な反応を期待していたのだが、先生は渋い顔をしていた。
「焦ったらだめだよ。少しずつだ。焦ってもいいことなんて何もない。君は君のペースで生活すればいいんだよ」
――いや、もう30だし。焦ります。
「人によって生き方は全然違う。一般的な基準を気にして、焦ってしまうのは意味のない事だ。少し休んだ方がいい」
正直、テンションを上げて欲しかったのだ。
このままガンガン動いて、今の自分じゃない「もっといい自分」になりたい、と思っていた。
見抜かれたのか。
「君は君でいいんだよ。自分を責めてはいけない」って言われた。
何か完全に心を読まれてる。
僕の思考はこういう生活をしている人の典型なんだろうか?
ある意味マニュアル的に、こう来たら、こう、みたいな対応なのか?
疑ってしまう。
この人は本当に思っている事を言ってくれているのか、と。
2つの自分が心の中でせめぎ合っている。
まず1つは、判断も疑いも捨てて、先生を信じきろうとする自分。この人は何があっても自分の味方だ、という期待。
もう1つは、先生は仕事だから事務的にやっているんだろう、と考える自分。
甘えてはいけない、先生にすがりついてどうする?しっかりしろよ僕、と思うときもある。
この2つの立場による葛藤は、冷静な思考ができるようになってからずっと頭の中にあった。
結局。
先生が真剣にそういうふうに思って言ってくれている、と信じることにした。
10年以上の付き合いのある人だし、色んな相談にも乗ってくれている。
軽薄な人でもないし、いつも真剣に話を聞いてくれる。
何より、病気が一番ひどい時、僕を救ってくれた人じゃないか。
先生、疑ってごめん。
ちょっとペースを落とすことにした。
焦らないで、しっかりもがき苦しむことに決めた。
それでは、また。