わかってくれた
僕は昨日の暗い気分を引きずったまま、午前中を過ごした。
クロは能天気にひなたぼっこ。
あいつは僕の不安に気付いているだろうか?
親としては落ち込んだ姿なんて見せられない。
親が揺れていると、子供は不安になる。
信じていたものが壊れた時の痛みを思い出していたら、本当に胸が鈍く痛んだ。
午後1時。
僕は師匠に課題をこなした事を伝えた。
「そうかそうか、よかったな~♪」
フルスマイル。声が弾んでる。相変わらず、かわいい。
サトウ君(彼氏)とうまくいっているのだろう。いま、しあわせなんだろう。
のろけ話を聞かされる。
嬉しそうな師匠。
どれだけサトウ君がいい奴なのかを理解した。
改めて絶対に勝てない事を思い知る。
僕はよかったですね、と出来るだけ気持ちを悟られないように返事をすることしかできなかった。
心の底から祝福できていないのは、僕の心が貧しいからなのか、悩みがあるからなのか、嫉妬に身もだえているせいなのか、わからない。
師匠はおみやげをくれた。
たこ焼きだ。
師匠も食べていたのか、歯に青のりが付いていた。
僕は少し躊躇しつつ、歯に青のりついてます、と伝えた。
洗面台かりるぞ、と言って師匠は歯を洗った。そのあと、「うう、寒い」と言って師匠はこたつに入る。
「見つけたのがお前で良かった」
いきなりそんな事を言われた。
どういう意味なのかを率直に聞いた。
僕に恥ずかしいところを見られても何のデメリットも無いから、という事だった。
師匠にとって僕はどうでもいい人間なのか?
……落ち込んだ。
僕がしょんぼりとして見えたのか、師匠はいつもの無表情な顔で言った。
「何かあったのか?」
少しためらった後、僕は正直に話した。
――何か、むなしいんです。確かにできる事は増えて、色んな事が楽しいって思えるようになりました。でも、結局自分はひとりなんだなって思うと、さみしいって言うか、何ていうか……。
師匠は、「そうか」と言い、目を伏せて沈黙した。何か考え込んでいるようだった。
僕は後悔した。
こんな暗い話するべきじゃなかった。
せっかく師匠の恋が叶って幸せな時なのに、なんで水を差すような事を言ってしまったんだろう。
そもそも、誰かにかまって欲しいなんて、ただのワガママじゃないのか?
何をやっているんだ僕は……。
「……わかるよ」
――えっ?
「お前だけじゃない。誰だって一人だよ。私だってさみしい時はある。たとえ付き合っている人がいてもだ。でも、どうにか堪えて毎日を乗り切っているんだ」
そう言うと師匠は、温かいコーヒーのカップを両手で押さえて、視線を落とす。
僕は自分のカップから立ちのぼる湯気を見つめながら、師匠の言葉の意味を頭の中でかみしめていた。
「今回は答えをやることができない。これはお前自身の生き方の問題だからだ。自分で答えを出すしかない」
僕は話の内容よりも、師匠が真剣に応えてくれた事に対して嬉しいと感じていた。
「病気の人」でもなく、「大人の社交辞令」でもなく、「人」として応えてくれた、という事実に対して。
「だが応援はする。頑張れ。私だって頑張るからな」
僕は師匠の話してくれた事に思いをめぐらせ、黙っていた。
師匠がコーヒーを飲み終え、落ち着いた声で僕に言う。
「だいじょうぶだ」
その瞬間、目が合うと、
師匠はふっ、と柔らかく笑った。
わかってくれているという事が伝わってきて、僕はそれだけでずいぶん救われた気がした。
レポートを書く師匠の横顔に向けて僕は言った。
――ありがとうございます。
師匠はこっちを見ないまま、すこし微笑んで、
「くるしゅうない」
とふざけながら答えてくれた。
この人の優しさに応えたいと、心から思った。
それでは、また。