美容室
数日前、美容室へ予約の電話を入れていた。
その約束の日が今日だった。午前9時から。
朝から緊張だ。
ドキドキしていた。
笑われたらどうしよう。気持ち悪いと思われたら辛いな。
美容室なんておしゃれスポット、完全にアウェーだ。
逃げ出したかった。
ヒルナミンを1錠、予防に飲んでから部屋を出た。
自転車で駅前まで走る。20分ぐらい。
遅刻はしたくない。
全力疾走。息が切れる。膝が痛い。でも立ちこぎはやめない。
早くいかなきゃと思いつつ、このままたどり着かなけりゃいいのに、という気持ちもあった。
駅前。
黄色い看板の床屋の、3軒となり。
ヘアースタジオ「イベントホライズン」。
そんなに大きくない店で、美容室らしくガラス張りではあるものの、うすぐらい照明のせいか外から内部が丸見えというわけでもない。
それがよかった。
さっさとケリをつけよう。
半ばやけになりながら、僕は店の扉を突破した。
おっさんが一人現れた。
背が高くて、がっちりとした体形。店内に暖房がかかっているせいか、ロングTシャツ1枚にジーンズという軽装だった。
何でそう感じるのか説明はできないのだけど、おしゃれなオーラみたいなものを感じた。
「○○ ○○(僕)さんですか?」
電話で喋った人だと声で分かった。
初めてですね、と言われてクリップボートにボールペン、1枚の紙をわたされた。
僕はよくわからないまま、色々記入した。
生年月日、電話番号、髪質とか。
書き終えると、鏡の前の椅子(回るやつ)まで案内された。
他に客も店員もいなかった。おっさんと僕の2人きり。人が怖い僕としては、都合のいい状況だった。
首にタオル、エプロンを巻かれた。
今日はどのように?と聞かれる。
特に希望はなかった。というか、そこまで考える余裕がなかった。
ただ「美容室に行って、髪を切ってもらうこと」しか頭になかった。
沈黙。気まずい。
するとおっさんはおどけた口調で、
「僕みたいにしますか?」
と提案して来た。
おっさんは、スキンヘッドだ。僕は、笑った。
それでだいぶ緊張が解けた。
僕は一言、社会復帰できる感じでお願いします、と伝える。
すると今度はおっさんが笑ってくれた。
それから30分ぐらい、話しながらのカット。
おっさんの息子の話や、僕の引きこもり生活の話。
もちろん緊張はしたけど、調子は崩れなかった。
ここに来てよかったと僕は思っていた。
肩まで伸びっぱなしだった髪は短く切断された。だいぶ梳いてくれたみたいで、いい感じに毛先が不ぞろいになっている。前髪は長めに残して、横は耳にかかる程度、後ろはよくわからないがさっぱりした。
何年か振りのプロによるヘアカットだ。
僕は生まれ変わった気分で、店を出た。
それでは、また。