なみだ
ボーっとしていた。
なにも考えたくなかった。
とくに昨日の事は。
午後1時。師匠がやってきた。
「どうした?」
僕がひどい顔をしていたのだろう。
師匠は怪訝な顔をしていた。
「怪我をしたのか?」
気付かれた。昨日石をぶつけられてできた傷に。
ちょっとまて、と言って師匠はバッグをがちゃがちゃひっかきまわした。
「これでよし」
師匠は僕の額の傷にばんそうこうを貼ってくれた。
それがどれだけ嬉しかったのかをどう表現すればいいのか、いまだに僕はわからない。
昨日のことを説明した。
――被害妄想って言われるんです。
「お前がそう思うならお前にとって本当の事なんだろう。この際、事実かどうかなんてどうでもいい」
師匠は真剣な目をしていた。僕は黙って言葉を待った。
「大事なのはお前がどう感じているかって事と、バカな考えを起こさないかってことだ」
僕は返事をしなかった。
どれだけ一生懸命になっても覆せない事がある。
生きていたって、つらいだけだ。
ならばひと思いに決着をつけるのだって1つの選択だ。
僕はそんなふうに思い始めていた。
たぶん、そのことを見抜かれていたんだと思う。
レポートを書き終えてから少しして師匠は唐突に言った。
「私が生きているのはこの世の中に大切なものがあるからだ。世話になってる人や、サトウ君、友達、バイトの仲間、それからここのブサイクとか、色々な。
その中にお前も入っている。だから、」
僕の目に違和感があった。
「バカなことは考えるなよ。お前だけいなくなるなんてズルいんだからな。地獄のようなこの世界で、お前も私と苦しんで、のたうちまわるんだぞ、わかるな?」
師匠は今までに見た事のない穏やかな顔で、僕の頭をぐしゃぐしゃになでた。
涙が出てきた。
僕の目からどんどんあふれた。
蛇口が壊れた水道みたいにボトボト出てきた。
――すみません。
「べつにいい。私だって泣きたい時は泣く。泣きたいだけ、泣け。ただし弱すぎる男はモテんがな」
じゃあ来年もな、と言って師匠は去って行った。
落ち込んでいくだけだから泣いてはいけない、とずっと思っていた。
でも実際泣いてみると、心が楽になった。
張り詰めていたものがほどけていった気がする。
泣けるのは今日だけかもしれないけど。
それでもいい。
生きてあの人の気持ちに応えたい。
それでは、また。