違い
午後1時。
師匠がやってきた。
玄関で迎え入れる時に気づいてもらえた。
「髪、染めたんだな」
「どうした、色気づいたのか?好きな女でもできたのか?」
――僕はまだ……
あなたの事を、と言いかけた。
「ああ、もういい。黙ってくれ。……ごめんなさい。本当にすいません」
一瞬、師匠が普通の女の子に見えた。
しかも、気を遣わせてしまっている。
何やってんだろう、僕は。
自己嫌悪と申し訳なさで僕はうつむいた。
「……でも、似合ってるぞ、色」
――そうですか!?
心の中でガッツポーズ。というか実際に背筋が伸びた。
「ムラになってるけどな」
またへこんだ。
「ニャー♪」
「はっはっは。お前は安定のブサイクだなあ。だが、かわいいぞ」
クロは腹を出してゴロンと寝転がる。
師匠はその腹をなでたり、揉んだり、引っ張ったりする。
その様子を見て僕は思わずニヤけてしまう。
クロの顎の下をゴリゴリしながら、師匠が振り返る。
目があったかと思うと、師匠は穏やかな口調で言った。
「お前、変わったよな。顔の表情が全然違う」
最近知り合いによく言われる事だった。明るくなったとか、元気になったとか。
――たぶん、薬が減ったせいだと思います。今は1日8錠しか飲んでないですから。
一番ひどい時は1日30錠近く飲んでいた。その時は目がトロンとして、だるくて、動きがのろかった。
知らない人に指をさされて笑われるのは本当につらかった。
そういう事を手短に説明した。
「……いろいろ大変だったんだな」
――でも、いまは……
「大丈夫なんだろう?よかったな」
師匠は花のように笑った。
僕はこの笑顔のためなら何でもできる気がした。
「あっ」
師匠の携帯にメールの着信。
イリエ君(彼氏・顔が僕に似ている)からだった。
何でも、バイトの報告とデートの連絡らしい。そして文末には。
「気を使って返信しなくていいって……ああ、こういう余裕のあるところが……♡」
師匠は目を閉じて穏やかに微笑み、両手で携帯を胸に当てる。
キラキラしてる。
幸せそう。
僕には決して引き出せない顔だ。
嫉妬のような敗北感を感じながらも、こういう師匠を見られてよかったと僕は思った。
気を遣わせて師匠を困らせる僕と、
気を使って師匠をキュンとさせるイリエ君。
決定的な違いはここだと気付いた。
果たして僕はイリエ君みたいになれるのだろうか?
正直、そんな自分を簡単にイメージできない。
「どうした?」
――いや、何ていうか、うまくいかない事がたくさんあって。
「そうか。そういえば私、バイト受かったぞ」
――おめでとうございます。そういえば僕も。
自分もバイトの面接を受けて今は結果待ちで、内心受かる自信がなくて不安なことを伝えた。
「まあ、結果はわからないな。でも、人生は思い通りにならないぐらいで丁度いいんだと私は思う」
キラキラした目で肩に手を置かれたら、もう黙ってうなづくしかなかった。
――がんばります。
師匠は、うむ、と偉そうに言うとイリエ君とのデートに向かった。
師匠が帰った後、1人で今の生活を省みた。
不満が全くないと言えば嘘になる。
けれど、思い通りにならないなりに楽しんで生きたい。
そしていつかは誰かをキュンとさせるぐらい大きな男になると決意した。
それでは、また。