自分なりのこたえ
僕はおととい、小説を一つ書ききった。
読んでくれる人がいるから。
その人は町の運営するバスの運転手さんだ。
明るくて楽しい人で、僕は好きだ。
それで、昨日病院へ行く時にバスに乗った。
その時に運転手のおじさんに、書いた小説を受け取ってもらった。
以前にも1度、書いたものを読んでもらっていて「面白かった」と言ってもらえていた。
すごくうれしかった。心がピキーンッ!となった。
なので、僕は調子に乗って、今回も張り切って書いた。
それでバスは駅前でいったん停車した。
おじさんに小説を渡して、ちょっと喋っているともう一人の運転手さんも話に加わってくれた。
何の話してんの?と聞かれたので、小説書いたんです、と説明。
おじさんが言った。
僕の小説は全部妄想で、スレてないところが良い。と。
すると、もう一人の運転手さんは、
現実の女を知らないとだめだろう、女遊びしなきゃ。となって軽い議論が始まった。
僕は2人の間に挟まって、右と左から「妄想1本で行くべきだ」「いや、女遊びだ」と正反対のアドバイスをしてもらった。
2人とも僕の肩をぽんぽん叩くので、そのたびに僕は左右に揺れた。
うーん、どっちなんだろう?
と、思っていたら発車の時間。
それで僕は昨日、病院から帰った後、もう1度ゆっくり考えてみた。
現実の体験をガンガン増やす、つまり「女遊びをする」か、
「妄想をどんどん加速させていく」べき、か。
本音を言うと、女の子と遊んでみたい。
だが、ちょっとこわい。
そもそも「女遊び」というのが何を意味してるのか、わからない。
恋をしろってことか?
……恋はしたい。すごくしたい。
結論は出た。
小説を書く事として考えると、読むひとが面白かったり、感動してもらえればいいのではないか、と。
妄想1本か、体験に偏るかを決める必要なんてない。
読むひとの事を考えるのが大事だと思った。
ところがどっこい、僕は今まで読むひとの事なんか全然考えずに書いていた。
なんてこったい、と思った。
人の気持ちがわかる人になりたい。
僕自身が書く事を楽しめて、それを読んだ人が楽しいと思ってくれたら、最高だと思うから。
それでは、また。