感謝
今、僕は特に不足はなく、身体に痛いところもなく、不安にとらわれているわけでもない。
しあわせだ。
精神病院に措置入院していた時は、不安でいっぱいだった。
とにかく不安だった。
最初の方は薬も合わなくて、しょっちゅう注射を打っていた。
落ち着かなくて、与えられたものに文句ばかり言っていた。
同時に人を憎んでもいた。
とにかくゆるせなかった。人も、自分も。
でも、いまはゆるせる。
傷ついて悩んだ分、人の気持ちを考えられるようになってきた。
同時に、自分だって誰かを傷つけている事も知った。
時間はかかった。
かかったけど、気づけた。
心理的に距離のあった姉の本音を聞いた事や、長らく世話になっていた主治医の先生に「君はもう大丈夫」と太鼓判を押された事も大きい。
甥っ子たちと過ごした時間も、深く影響しているのだと思う。
過去を思い起こすと、間違いばかり犯してきた気がする。
それでも、僕は独りじゃなかった。
困った時、人に助けてもらえた。
いとこの兄ちゃんや、学校の先生、
図書室登校してた時の、司書のおばさん。
入院してた時は、レモネードの存在を教えてくれた看護師のお姉さんもいた。
こんな僕を好きと言ってくれた人もいた。
そんな大事なことを、僕は忘れていた。
なかったことにしていた。
感謝してなかった。
感謝する事は、その人自身を救うものだと思う。
なぜなら、感謝するという事は、「自分は人に愛された」と認める事だから。
大事なことだと思う。
とはいえ、「人に愛される?そんなのどうだっていい」という人にはどうでもいい事かもしれない。
でも、
少なくとも僕は、人に愛されたい。
1ミリでも多く愛されたい。
わがままかもしれないけれど。
そういうものもこれから収まっていくのか、それともこじれて行くのか、自分でもわからない。
だから、本当の事をじっくり見つめたい。
最近そういう事を考えている。
それでは、また。