執念
僕は子供の頃から、思い通りにならない事が多くて、人生を悲観していた。
親が離婚して父親がいなくなったり、6つ年上の姉に嫌われていたり、母親がうつ病になって自殺未遂したり。
そんな僕を見て、あからさまに見下してくる人もいたし、「かわいそう」と同情をかけられるのも何だか嫌だった事を覚えている。
それでも。
いいこともあった。
色々教えてくれるいとこがいたし、登校拒否だった僕を必死で学校に連れ戻してくれた先生もいた。
猫がずっとそばにいてくれたし、依存するチョコレートも手元にあった。
恋もした。しょっぱいのばっかりだけど。
そういう、自分を気にかけてくれる人は常にいて、それが僕の幸運だったと思う。
だが、導いてくれる人はいなかった。
「何が人生のゴールか?」とか「どうすれば幸せになれるのか?」とか教えてくれる人だ。
そんなの誰にもわからない事かもしれない。
でも、子供の頃の僕はずっとそういう事を知りたかった。
そういう事を、もし父親がそばにいたら教えてくれたのかな、なんて妄想していた。
自分の手で答えを探さなかったのは、完全に僕の怠慢だと反省しているけど。
それで、転機は訪れた。
統合失調症にかかって病院送りになった時だ。
措置入院。重症だった。
発作が起きる度に壊れそうになった。
生き残って廃人になるのか、ひと思いに命を断つのが楽なのか、判断が難しかった。
結果的にはどちらも回避できた。ラッキーだ。
しばらくして状態が落ち着き、閉鎖病棟から開放病棟に移り、病棟の外へ出られるようになった。
しかし、平日は外来のロビーには決して近づくな、と看護師さんたちに言われていた。
だが、土日なら大丈夫だった。
なので、僕はちょくちょく外来のロビーへと繰り出していた。
そこで出会った。
人じゃない。雑誌だ。
週刊誌。いわゆるゴシップ記事とかが載ってるやつ。
その中に、ある芸能人の連載インタビューが載っていた。
男の人。派手な印象。一流芸能人。
僕の彼に対する印象は「人生を楽しんでいる人」だった。
インタビューの中で彼は、色恋とか、暴力とか、お金とか、僕の知らなくて、しかも知りたい事を語っていた。
独特の、でもわかりやすく本質をついた語り口で自身の経験を語っていく。
面白いと思った。
なので僕はロビーにあるその連載を全部読み、さらに最新号が出る度に真っ先にチェックしていた。
それである号で、彼は人生が変わったきっかけを語っていた。
なんと、ある時まで彼は自分の事が嫌いで、人生を否定していたという。
ところが、彼にも出会いがあった。
人格的に尊敬できて、地位も名誉もある人だったらしい。
彼はその人にズバリ聞かれた。
「君は自分の人生をつまらないと思いたいか?それとも素晴らしいと思いたいか?」
そこで彼はこう思う。
「僕は自分の人生を素晴らしいと思いたい!」
そこから彼の人生は変わっていったという。
そのくだりを読みながら、当時の僕も自分に問いかけた。
自分の人生を素晴らしいと思いたいか?
答えは明確に出た。
僕だって自分の人生を素晴らしいと思いたい。
はっきりそう思った。
それで、自分の中で何かが変わった。
絶対に幸せになってやるという、執念のようなものが芽生えた。
そして、人生を悲観する事をやめた。
あれから10年経った。
僕は自分の人生を素晴らしいと思っているか?
思っている。
思うだけならタダだし(笑)。
それは冗談としても、日常生活を普通に送れるようになって、それだけでも嬉しい。
身体がガタガタ震える事もないし、人もそんなに怖くなくなった。
薬漬けだった時とは比べようもないほど自由だ。
だから、素晴らしい。
あとは働けるようになったらいいなあ、と思っている。
それでは、また。