hatopoppo_25's blog

気づけば普通の日記になっていました。

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抵抗してみたこと

僕は「死にたい」と言う人が嫌いだった。

そういう人にずいぶん苦しめられてきたからだ。

 

「死にたい」と言う言葉にもさまざまなレベルというか、深さ、本気度があると思う。

軽いため息の仲間のようなものから、イライラのはけ口、本当に死んでしまいたいという心の叫びまで。

色々あると思うのだけど、

それに対して僕は過剰に反応してしまう。

余裕をもって対処ができなかった。

 

どういうふうに感じるかと言うと。

自分を否定されているように感じる。

「死にたい」って事は否定だ。

その人自身と、その人を取り巻くものを拒絶している。

「こんなものは大嫌いだ」、と。

だから、身近な人が死にたいというと、その拒絶の範疇に自分を入れられている気がして、とても傷つく。

「お前なんかいても、何の役にも立たない。つまらない。いらないんだよ」。

そう言われているような気がする。

なぜそう思うのかは、思い出すのも辛いので、今は置いておく。

 

それで、かつて僕の身近に死にたいという人がいて、ずいぶん苦しめられた。

実際には僕は傷ついていたのだけど、その時意識にあったのは怒りだ。

「何でそんな事言うんだよ!」って責めてた。

ケンカにもなる。

そうすると、余計にその人は「死にたい……」ってなる。

最低な気分と、最低な状態だった。

泣いたり、怒ったり、なんかもう嫌な事てんこ盛りだった。

 

どうにかしないといけなかった。

僕は視点を変える事にしてみた。

自分の中の辛さにばかり目を向けていたけれど、

相手の気持ちを考えてなかった。

自分を守る事で精一杯だったからだ。

でも相手の気持ちを考える必要があるんじゃないかと思った。

 

で、考えてみると。

「死にたい」と言っているその人も寂しいのだと僕は判断した。

「死にたい」という言葉に込められているのは、

理解してほしい、

自分を尊重してほしい、

大事にして欲しい。

そういう訴えだったのかな、と。

 

僕はその人に死にたいと言われて、寂しくなって傷ついていた。

その人自身も寂しくて傷ついていた。だから、

感じてる事は一緒じゃん、と思った。

同じような気持ちを抱えてる同士でケンカしたってしょうがねえなあ。と思ったので、僕はその人に何かをしてあげたいと思うようになった。

 

何かをしてあげたい。

でも、若干の恨みもあった。

なので、少しの悪意を持って僕はその人に言った。

「愛している」と。

すると。

すげえ怒られた。

当然か(笑)

でも、冗談交じりにしつこく僕は言い続けた。

そしたら、ちょっとづつその人は死にたいって言わなくなった。

 

何かを変えることに成功したのかはわからない。

もしかしたら、「こんなやつに自分の気持ちを話しても仕方ねえ」と思われているだけかもしれない。

でも、その人はまだ死んでいない。

本当のところはわからないままだけど、生きててくれたらそれでいいやって思う事にしている。

それでは、また。