何だか嬉しくて
午後一時。チャイムが鳴り、玄関を開けると師匠が立っていた。
初対面のような緊張はお互いに無くなってきている。
今日の師匠は、花柄のワンピースの上に、黒のライダースジャケット、足元はビーチサンダルだった。髪の毛には、有名チョコレート菓子の鳥キャラクターの、おそらくバッタ物で作られたヘアピンが飾られていた。
「それで、最近どうだ?やっているか?」
師匠は偉そうに腕組をしたまま僕に聞いてきた。
僕は最近ずっと頑張って外出し続けていることを報告した。失敗も成功も。
「うむ。悪くないな。お前なかなか根性あるじゃないか。じゃあ、次からは……」
師匠の携帯が鳴った。
師匠は僕をまるっきり無視して、電話に出た。
僕とあちらの優先度がものすごく違っていることを思い知らされる。
「もしもし、あっ、サトウ君!」
師匠の目の色が変わる。目がきらきらして、上目づかいになり、声が1オクターブぐらいあがる。表情がくるくる変わり、はじけるような笑顔がこぼれる。
いま僕と話していた時は、無表情+低い声だったのに……。
僕はちょっと恨めしくなって師匠を睨んだ。すると師匠は話しながら、刺し殺すような眼で僕を睨み返してきた。
!
びびった。こわい。負けました、二度と逆らいません……。
静かな部屋なので、師匠の声がガンガン響く。結果、盗み聞きのようになってしまう。
この間、みんなでご飯を食べたらしい。今度二人きりでご飯を食べるという。
お互いの気持ちはわかっていて、あとひと押しでカップル誕生という、僕には縁のないシチュエーションだということが伝わってきた。
う・ら・や・ま・し・い!
ちくしょう!
「……じゃあね」
師匠は電話を切ると、よし!と携帯を胸に当ててうなづいた。頬がかすかに上気しているように見える。
「いきなり話を切って悪かった」
そう切り出した師匠はちっとも申し訳なさそうには見えなかった。多分テンションが上がっていて、ついでに謝ったのだろう。
「お前、頑張ってるじゃないか。次は……いや、焦っては駄目だな。もう一週間頑張れ、外出が安定したら次の課題をやる」
はい。僕は真剣にうなづいた。
「正しい努力をすればある程度はうまくいく。どうしようもないことも多いけどな」
師匠は思い詰めたような、せつない顔をした。
胸の奥がきゅっとなった。
「どうしようもないこと」が彼女の人生にあって、それが彼女を苦しめているのだろうか?
僕に力があったら彼女を守ってあげたい、そう思った。
おお、これが流行歌なんかにある「君を守りたい願望」か!
自分の中に生まれた衝動に、一人で感動していた。気付くと師匠をじっと見つめてしまっていた。
「ん?」
軽く睨まれた。僕は愛想笑いでごまかす。でも、うまくいっていなかったと思う。きっと変な顔になっていただろう。すると、
「……変な奴。ふふっ」
師匠は笑った。
初めてだった。蔑むわけでも、皮肉を込めるわけでもなく、にっこり笑った。
僕に対してこんな笑顔を向けるのは、初めてだ。
落ち着かないような、懐かしいような混乱が、僕の胸に広がった。
「私も頑張るから、お前も頑張れよ!」
レポートを書き終わると、師匠はそう言って颯爽と出て行った。
僕は嬉しかった。すごくうれしかった。なんか嬉しかった。
さっきまで一人で小躍りしていた。
そこにクロが混じって「ニャーニャー」と騒ぎだした。
お前は僕の気持ちがわかるのか?
僕はクロを抱っこして、もう一度、うひょー!と小躍りした。
それでは、また。