フルスマイル
午後1時、玄関を開けると。
「こんにちわぁ♡」
師匠が僕にあいさつしてきた。笑顔だ。フルスマイルだ。
僕は動きが止まった。
「あ」
急にきまりの悪そうな顔になった。視線をそらして師匠は言う。
「間違えた。今のナシ!何でもない。忘れろ!」
――え?
「わ・す・れ・ろ」
睨まれた。よかった。いつもの師匠だ。
どうやらサトウ君に告白されたらしい。「うれしさ全開で正気を失っていた」という。
師匠はずっとニヤけていた。んふふふふふー。とか笑ってた。ちょっと怖い。
「ブサイクー!元気だったかー?」
――クロをブサイクと呼ばないでください。
「おお、すまん。私は幸せでしょうがない~♪」
とうとう歌いだした。ちょっと腹が立つ。同時に泣きたくもなった。
やっぱり僕の恋はかなわない。というか、何ひとつ始まらずして終わった。でも、へこむ。
――いいですね。幸せそうで。
皮肉をこめて言ったつもりだ。
すると師匠は、急に真顔になった。
「お前は今幸せじゃないのか?」
心配されているのか、怒られているのか、それ以外の意味の質問なのか、僕にはわからなかった。
言葉を返せなくて、固まる。
しんと静まる部屋の中で、師匠は再び口をを開いた。
「お前は自分が好きか?」
何でそんな事を聞かれるのかわからなかったが、痛い質問だった。
僕は最近、自分なりに自分を好きになろうと努力をしていた。思考、行動、習慣を見直した。
だけど……。
正直に言った。
――嫌いです。
「だろうな。不幸な奴の特徴はこれだ。『自分が嫌い』だ。四六時中付きまとう自分自身が嫌いなら、生きて感じるもの全てに嫌気がさしてくる。少なくとも私はそうだった」
――師匠は自分が好きなんですか。
反抗的な気持ちを悟られぬように聞いた。上から目線にちょっと腹が立っていたからだ。純粋な興味もあったけど。
ひと呼吸おいた後、師匠は言葉を選ぶようにして言った。
「もろ手を挙げて『好き』とは言えない。だが、嫌いでもない。駄目なところもあって私だからだ。そう思えるようになって気持ちが楽になったな。だがお前に無理に『自分を好きになれ』とは言わん」
――じゃあ、どうすれば?
「好きになろうとして自分を好きになれるなら、だれでもそうするだろう。だが、無理だ。だから騙せ。自分を騙すんだ」
理解が追い付かない。たぶん僕の顔には「?」が浮かんでいただろう。
「こう考えろ。『自分がもし自分を好きならどんな行動をとるか?』と。そしてそれを実行しろ」
僕は、はあ、と曖昧に頷いた。
「まあ、やってみろ。面白いぞ。そうだな、3つでいい。やれ」
そのあと師匠はまたハイテンションに戻って、レポートを書きあげ、颯爽と去って行った。
自分をだます。
そんなふうに考えた事はなかった。
どういう事なのか、よくわからない。明日ゆっくり考えよう。
だいたい、今の僕はサトウ君ショックで頭がよく回らない。
ううう。あああ。なんにもかんがえたくない。
それでは、また。