前に進むために、新聞紙と、裸の壁。
今日まで僕の部屋の壁には全面、新聞紙が貼ってあった。
怖かったから。
10年前、声がしたのだ。
アパートの隣の部屋から。
隣の住人達の声。壁が薄いボロアパートなのでほとんどの声が聞こえる。
自分の行動の逐一を観察され、コメントを入れられる。
笑われる。けなされる。否定される。
毎日続いていた。しかし、夜限定。金曜日の夜が一番うるさかった。
大勢の声。酒でも飲みながら笑っているようだった。
隠しカメラでもあるのだろうかと思い、部屋中を探す。すると、
「惜しい!そんなところにはない!」と喜ばれる。
これは幻聴なのか?
1度ためしに、夕方に眠った。
眠ってしまえば、回避できるだろう。そう思った。
起こされた。
壁を殴打されたのだ。
僕がガバっと起きると、大爆笑。
「逃げられると思うなよ」とのこと。
あれは幻聴だったのか?
医者やほかの人たちは幻聴だと断定する。
おそらく「妥当な判断」で、「普通」の意見だろう。
しかし、
隣の住人が引っ越したとたん、声は無くなり、それ以後誰かの声に脅かされる夜は1度も無かった。
人に信じてもらえない事で、僕は人を疑うようになった。
意固地になった時期もあった。
でも、今更こんな事を思い返してもしょうがない。
事実を確認する術はないし、「僕が狂っている」という結論で大多数の了解は得られるのだろう。
本当の事は僕にはわからない。
それで、その当時「視線」を回避するささやかな抵抗として、僕は新聞紙を壁に貼り付けた。
壁の新聞紙を見渡すと、変色がひどかった。紙面には10年前のニュースが未だに躍っている。
僕の中で止まった時を象徴しているようだと、最近気付いた。
声はもう無くなったし(あの隣人たちはもういなくなった)、
この部屋を訪れる人たちの疑いの視線も取り消したい。
師匠は普通にふるまってくれているけど、
内心かなり引いているんじゃないだろうか?
そもそも最初、カッターで刺されそうだったし。
あれが普通の反応かもしれない。
もういいだろう。
僕は新聞紙をはがすことにした。
画鋲を抜いて、壁を裸にするだけ。
作業はあっという間に終わった。
……さっぱりしている。
10年以上振りに壁をじかに見た。
薄い緑。
こんな色をしていたのか。
これでいいんだ。
僕が前に進むためにはどうしても必要な事なんだ。
もう1度人を信じて、僕自身も人に信じてもらえる人になりたい。
信じられる人や、大事なものが見つかったから。
今度は自分が変わらないといけない。
そう思った。だから、新聞紙を取りはらった。
決着はつけた……つもり。
だが、
どうしても不安になる。もうすぐ夜だし。
今日はもう寝よう。
それでは、また。