決意
水道水が冷たい。
手が冷えて、皿洗いがきつい。
かと言ってお湯を使うとガス代がかかるし、手の油分が奪われてカサカサになる。
ならばいったい僕はどうしたいのだろう?
これからどんな人生を送りたいのだろう?と考えていたら午後1時。
師匠はやってきた。
今日も師匠は白を基調としたファッション。
女の子らしくて清楚な印象。
サトウ君(彼氏)とは女の子の好みが合うかも、友達になれないかな、と思いつつ。
師匠はキャップを被っていた。初めてみる姿だ。サトウ君の影響だろうか?
僕の中に薄汚い嫉妬心が渦巻いた。
部屋に入ったなり、師匠は驚いた顔をした。
「……新聞、はがしたのか。どういう心境の変化だ?」
僕はこの1週間の出来事と、自分の望みをはっきり伝えた。
友達と恋人がほしいです、と。
師匠は渋い表情をしたかと思うと、そうか、と呟き、目を閉じて微笑んだ。
「とうとうここまで来たか……」
読まれていたのか?
僕がこう言いだすことをあらかじめ想定していたような口ぶりだった。
考えてみれば当然だ。師匠も元は引きこもりで、それを克服した人なのだから。
――どうすればいいんですか?
「そんなの知らん!甘えるな!」
――ええっ!?
「もうこれは引きこもりの問題ではない。私だってそんなもんわからんわ。何でもかんでも頼ってくれるな」
僕が呆然としていると師匠は、ふむ、と言って再び口を開いた。
「そうだな、女としてなら多少のアドバイスはできる」
――ど、どうすれば?
全身を固くして僕は答えを待った。
「まず、見た目だ。髪を切れ。お前不潔っぽいぞ。最低限の清潔感は保て。次に服装だ。そんな服じゃあ、誰も一緒に歩きたくない」
鏡をのぞきこむ。
髪は伸びっぱなし。着ているものは、くたびれた中学ジャージだった。
「あとは、話し方だ。もごもごするな。はっきり話せ。ついでに言っておくと、お前目が泳ぎまくってるぞ。もうちょっと落ち着け」
全部じゃないか……。
絶望した。
師匠があまりにも普通に接してくれるから油断していた。甘かった。
外出時の周りの人の不審そうな眼差しは、妥当だったのかもしれない。
髪の毛を切りに行く事には抵抗がある。
ファッションなんて全然わからない。
話し方や、視線に関してもクリアできる自信がない。
――お、終わった……。
「諦めるな!今までだって何とか頑張れたじゃないか!私だってそこはちゃんと認めている。外見さえきちんと磨けば、まだチャンスはある。勝負はできる!まあ、生理的にムリだと思われたら駄目だけどな」
恐る恐る僕は聞いてみた。
――師匠にとって僕は、もしかして……。
「生理的にムリだ」
今度こそ終わったと思った。
全力でうなだれる僕に、師匠は優しい口調で言葉をかけてきた。
「全否定しているわけじゃない。私がそういうふうに感じているだけだ。世の中には物好きな女もいる。そこに全てをかけろ。応援はする」
ああ、そうだ。
嫌われてるわけじゃない。
ただ生き物として気持ち悪いと思われているだけじゃないか!
……。
ああああああああああああああああ!
気をしっかり持て、と自分に言い聞かせて立ち上がる。
――やります!僕、頑張ります!
「そうか」
にっこりする師匠を見つめる。
この人は応援すると言ってくれた。
その気持ちに応えたい、僕はそう思っていた。
半分はやけになっていたけれど。
淡く抱いていた師匠への恋心は完全に封印しようと思う。
……彼氏いるし。
とにかく。
頑張ろう!
前を向け!
今日ほど自分が涙を流せない事を便利だと思った日は無かった。
冷たければ温めればいいんだ。
気持ち悪いと思われようと生きていくんだ。
今はただ、冷え切った手をこたつの中で温めることしかできない。
だけど。
……生きていくんだ。
それでは、また。