リミット
午後1時、師匠はお土産を手にやってきた。
有名チェーン店のドーナツ。
師匠はドーナツを広げ、僕はコーヒーを淹れた。
――バイト、落ちました。
「何だ、あんまり残念そうじゃないな」
一発で見抜かれる。
そうだ、本音を言うと僕は怖かった。
アルバイトに採用されても、うまくやっていけるのか、ちゃんと人づきあいはできるのか、そういうことで頭がいっぱいで、ビビっていた。
なので、落ちてホッとした部分はある。
そんなことを考えるのは一緒に働く人や、雇ってくれる会社に失礼だと思う。
でも、どうしても怖い。自信がない。
その事を師匠に正直に話した。
「自信、か」
――師匠は新しい職場に行く時とか、不安は無いんですか?
「不安なのはお前だけじゃない。自信なんか私にだってない。それにそんなもの必要ない。とにかく動き続ける事の方が重要だ。バットを振り続ければいつかは当たるからな。恋も、仕事も」
僕は「お前だけじゃない」という言葉を胸の中で反芻し、立ち止らないことを自分に誓った。
師匠は眠っているクロを見ながら、レポートを書いていた。
ペンの走るサラサラという音だけが静かな部屋を満たしていく。
その間に僕はコーヒーカップを片付ける。できるだけ静かに、穏やかに。
だが、流し台のところで手を滑らせて、大きな音を立ててしまった。
するとクロは目を覚ました。
「起きたか?ブサイク~!」
「ニャー!」
両手を差し出す師匠、しっぽを振って突撃するクロ。
いつもなら師匠のお腹に「ばふっ!」となるだけだが、今日は……。
勢いがあった。
ドンっ!バタッ!「ぐはッ!」
体当たりが決まって師匠は押し倒される格好になっていた。
――大丈夫ですか!?
「ああ、何ともない……」
難しい顔の師匠。
僕はどうしてなのか気になったが、なぜか聞いてはいけない気がして何も言えなかった。
「……なあ、ブサイクは今何キロだ?体重計はあるか?」
急に口調が固くなって、表情が険しくなった。
僕の胸に不安が広がる。
――どうしたん……ですか?
「体重が20kgを超えたら、即回収と言う事になっている」
それから師匠はルールの説明をした。
このバイトは(バイトだった事をこの時僕は思い出した)、
1、ドラゴンを1年間育てきる。
2、ドラゴンが死ぬ。
3、ドラゴンが逃げ出す。
このいずれかの条件を満たすと、即終了。
さらに、
4、ドラゴンの種族ごとにある体重の基準値を超えても即終了。との事だった。
「もう終わりかもな……」
――そんな……。
終わり。
2つの終わり。
クロがいなくなる。
師匠がここに来なくなる。
そんなの……。
体重計は家にはないと説明すると師匠は「じゃあ、来週私が持ってくる」とだけ言った。
しっぽを振って走り回り続けるクロとは対照的に、僕らはその後何一つ言葉をかわせなかった。
クロを両手で抱きしめるとドッシリしている。
重い。
腕がプルプルする。
20kg、超えているかもしれない。
なんてこった。
このままではいられないかもしれない。
ああ、僕は今まで恵まれた環境にいたんだな……。
……。
それでは、また。