それでも
僕は健康のためにランニングをしている。
休憩は公園のベンチで取る。
そこに座っていて気付いたことがある。
春先だっただろうか。
公園に植えられている木々の枝がバッサリ切り落とされた。
それで、最近気づいたのだけど、
その切り落とされた部分から、新しい枝や葉が生えてきている。
どうせ生やしてもまた来年切られるのに……。
無駄なんじゃないか?
繰り返し、何度も。
無残に切り落とされて痛いだろう。
僕は、どうせ切られるのだから、もう生やすのをやめたらいいのに、
どうせ死ぬのに、生きてどうする?なんて後ろ向きなことを思った。
でも、ちがう。
無駄じゃない。
というか、木にとって意味があるとか無いとか、そんなことはどうでもいいんじゃないか?
彼らは見返りや結果を求めていない。
ただ、生きて、伸びて、命の喜びを表現して、枯れる。
そうする事で結果的に鳥や虫たち、もちろん人間にとっても必要な存在となっている。
誰かにとって必要な存在になる、というのに僕はあこがれている。
だから、木を見ていてうらやましく感じたりする。
あんなに無条件に強く生きる自分を想像できないのも本当だけど。
枝や葉はいずれ切られてしまう。
人も動物も、星だって死ぬ。
だからこそ、せめて僕は今あるものを見つめていたいと思っている。
死ぬまでは、生きたい。
それでは、また。