おねだりと成長
今日はスーパーへ行ってきた。
道連れには母。
というか、母の買い物がメインだ。
ねだられた。
「誕生日近いからなんかプレゼントして」と。
僕は「また来たか。」と思った。
僕の母はおねだり星人だから、母の日、誕生日、および敬老の日にもおねだりをしてくる。
断わると駄々をこねる。
なので、僕は渋々いつも何かを贈ってる。苦い年中行事だ。
今日は財布をプレゼントした。
990円。
僕と母は食料の調達も終えて、自販機の前のテーブルでくつろいでいた。
すると、全身黒ずくめのちょっと上品チックなおばさんが、店に入ってきた。
キョロキョロしてる。
店内の地図を見たり、そっちこっちを行ったり来たり。
その表情から、焦りのようなものを感じた。
僕は声をかけた。
どうかしましたか?と。
すると、トイレの場所がわからないという。
僕は手短にトイレの場所を説明した。
軽く礼を言っておばさんは去って行った。
おばさんを見送って、味の濃いお茶を飲んでいたら、母が言った。
「成長したね」と。
僕は、何が?と問う。
母が言うには、以前の僕だったら、困っている人がいて助けたいと思っても、うじうじためらってただろうに、という事だった。
それが今日は即行動に出た、すごいじゃん。と驚かれた。
僕は「おお、言われてみれば」と思った。
僕は成長したんだろうか。
確かに以前の僕だったら、人に声をかける前に色々考えていた。
これを言ったらどうなるだろう?こんなふうに思われないか?変に思われないか?
余計なことをぐちゃぐちゃ考えてた。
そういうのが最近なくなってきたのは確かだ。
なので素直に自分は成長した、と考える事にした。
「成長」というのは、自分というものを積み重ねるだけじゃなく、
余計なこだわりとか、制限を取っ払っていく事も指すんじゃないかなと思った。
最近僕は適当な感じだ。
こんなんじゃだめかな?なんて思い始めていた。
だが、それもわるくなかったのかもしれない。
肩の力を抜くというのはこういう事かも。
もっと適当でいいのかな、と調子に乗っている。
いつか痛い目を見るかもしれないけど、その時はその時で考えようと思っている。
それでは、また。