hatopoppo_25's blog

気づけば普通の日記になっていました。

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根拠

7月4日は、僕の母の誕生日だ。

今日、母は60歳になった。還暦だ。

プレゼントは先日したので、今日はかき氷をコンビニで買って持って行った。

かき氷は喜ばれたけど、歳をとる事は嬉しくないと言っていた。

 

立ち上がる時に膝が痛む話を聞いたり、入れ歯を磨く後姿を見ると、

ああ、年取ったなあ、と思う。

 

僕が幼い頃、母が僕に「愛している」と言ってきた事がある。

僕はそれに対して、どんな根拠があって?と問うた。

母の回答は、「血のつながった親子だから」。

納得いかなかった。僕は問い詰めた。他にないのか?と。

それしかない、と母は言った。

僕は落ち込んだ。

 

正直に言うと、血のつながりなんて僕にとってはどうでもいいことだ。

そこに説得力を感じられない。

仮に僕が「母の息子でない存在」としてこの世に生を受けたなら、母の関心を得られなかった。

「自分が自分だからこそ愛されているわけではない」。

そう思うと、心がつぶれそうになった事を覚えている。

まあ、母には母の理屈や考えもあるだろうし、血のつながりだってそんなに軽いものではないのかもしれない。

だが、あの時僕は納得できなかった。確か、泣いた。

 

ちなみに僕は、人のつながりとは、

互いに向ける関心の強さと、交わす言葉と想いの強さに支えられるものだと思っている。

だから、近所の人に挨拶する時も、人と話す時にも僕は念みたいのものを込めている。

そんなの意味が無い、と言われれば何一つ反論できないけど。

 

それで、少年時代から、思春期にかけて僕は拗ねていた。

抵抗していた。

「愛してくれねえのかよ」って。

もう1人の親がいなかったのも、大きいと思う。

だけど、大人になるまでにケンカもしたし、

僕が病気になった時も母は僕を見捨てなかった。

母が愛してると言ったなら、母にとってはそれが真実で、それを否定するのはただのわがままだと気づいた。

それに僕自身、いちいち根拠が無ければ信じられないほど不安でもなくなった。

 

母が還暦になって、いま僕が思うのは、

生きていてくれたらそれでいい、という事だ。

執着が薄れたのか、僕が大人になったのか、あるいはただ心が鈍くなったのかのはわからない。

けれど、これでいいと思う。

 

還暦を迎えて、これから何をしたい?と母に聞いてみた。

「レース編みを始めたい」と言っていた。

趣味の無い母が一歩踏み出した。

僕にはそれが嬉しかった。

僕も何か始めようと思う。

心配ばっかするのも疲れたし、心配かけるのも駄目だと思うから。

がんばろう。

それでは、また。