すきなひと
午後1時。
師匠はいつも通りやってきた。
先週あんな事になったので、僕はどういう挙動をとればいいのか、わからなかった。
緊張。
でも師匠は全く気にしてないそぶりで言った。
「何だそわそわして。クソでもしたいのか?」
クソとか言ってほしくなかった。とくに大好きな女の子には。
サトウ君の好みに合わせてカットしていた師匠の髪は伸びた。
「自分で切った」という前髪からのぞく、まん丸で大きな瞳を見ているだけで僕の鼓動は早くなる。
ためらっていてもしょうがないし、師匠と一緒に過ごせる時間は限られているのでストレートに相談した。
――好きな人ができたんです。
ほう、と師匠は少し驚いた顔をして微笑んだ。それで?と促される。
――全然、勝算がないんです。でも、苦しくて。気持ちを伝えたいとは思うけど、振られるのが怖いです。
「なんだ?お前は人の顔色を見て自分の気持ちを抑えたりごまかしたりするのか?」
何も言い返せない。
「情けない奴め。そんなんでいいのか?」
――好きって言いたいです。
ちょっと悔しかったので、反撃した。
同時に「好き」って言う時に若干気持ちを込めてみた。全く気が付かれなかったけど。
「やってみればいい。失うものなんてないんだろう?」
――だけど僕にはハードルが高いです。
「できる事からやればいい。簡単な主張からだ。私もやったな……」
そう言うと師匠は遠い目をした。
――どんな事をしたんですか?
「そうだな、例えば買い物だ。レシートをわざわざ貰っていくとか、レジ袋をくださいと頼んだりな。そういう面倒だが出来そうな事を積み上げて行くんだ。そうすれば告白だってできるようになる」
僕は黙ってメモをとった。
「あとは、そうだな。嫌なことをきちんと断るとか、だな」
僕は気になってしょうがない事を聞いてしまった。
――師匠は自分から告白した事があるんですか?
「……あ、ある」
師匠は何か複雑な顔をしていた。
さすがに「結果は?」と聞く事は出来なかった。
というより、なんでそんな事を聞こうとしてしまったのだろう。知ってしまったところで、得することなんて1つもなかったはずなのに。
しかもデリカシーの欠片もない。
思いつきで行動してあとで後悔する、僕のいつもの失敗パターンだった。
帰り際、僕は師匠に一言伝えた。
――待っていてください。
「何をだ?」
師匠は鋭い視線で僕を見つめた。
かわいくない時のこの人も好きだと、心から思った。
明日からも頑張ろう。
それでは、また。